【英語OS:第2章】「Do are you play?」はなぜダメ? be動詞と一般動詞の決定的違い
【第1部】なぜ、英語の動詞はこんなに面倒なのか?
事件発生:レイの叫びと、動詞界の「見えない壁」
OS探偵事務所に、慌ただしい足音が響く。
ドアが勢いよく開かれ、息を切らして駆け込んできたのは、私の助手であり、探偵見習いのレイだ。
その手には、真っ赤なバツが付けられた一枚の答案用紙が、固く握りしめられていた。
それは、私がかつて、ごく普通の塾講師として教壇に立っていた頃、何度も目にしてきた光景でもあった。
生徒たちが、どれだけ真面目にルールを覚えても、どうしても乗り越えられない「見えない壁」。
その壁に、また一人の未来ある探究者が、真正面からぶつかってきたのだ。

「所長、大変です! また学校のテストで、訳の分からないバツをもらいました!」

「ほう、レイ君か。落ち着きたまえ、答案用紙がくしゃくしゃだぞ。
…また新しい『事件』かね?」

「大事件です!」
Q.『あなたは野球をしますか?』を英語にしなさい、って問題で、
『Do
are you play baseball?』って書いたら、見事にバツ…。
もう、意味が分かりません!
主語がYouの場合 って"Are you~?"っていうのありましたよね?
でも、"Do you play~?"っていうのもあった気がしたし…。
もう分からないから、ラーメンのトッピングみたいに『全部乗せ』にしとけば正解だろう!って思ったら、これですよ!」
レイがデスクに叩きつけた答案用紙に踊る、「Do are you play baseball?」の文字。
なんとも豪快な『全部乗せ』だが、彼女を笑うことは誰にもできない。
なぜならこれは、日本の英語学習者が、例外なく通る道だからだ。
学校の先生は、きっとこう説明するだろう。
「be動詞は『イコール』、一般動詞は『動き』。ちゃんと区別しないとダメだよ」と。
それは嘘ではない。100%真実だ。
だが、その抽象的な説明は、レイが本当に知りたい
「なぜ、そもそも区別する必要があるのか?」「なぜ、疑問文の作り方まで違うのか?」
という、最も根源的な問いには、決して答えてはくれないのだ。

「ははは、レイ君らしい、見事な『全部乗せ』だな。
だがな、よく聞いてくれ。
君が今ぶつかった壁こそ、我々日本語OSを持つものが陥りやすい英語の迷宮なんだ。
もう明日から迷わないように、その暗闇に、我々が光を灯す時間だ。
さあ、捜査を始めよう。」
第一の謎解き:「王様」と「影武者」という身分の違い
君を、そしてレイを長年苦しめてきた、be動詞と一般動詞の面倒な区別。
その正体は、これから提示する、残酷なほどシンプルな一つの問いに集約される。
英語OSは、全ての文をこの究極の二択で仕分けしている。
「その動詞が示しているのは、主語の具体的な『アクション』か?
それとも、主語の状態の単なる『説明』か?」
日本語では特別分けられることのない、この使い分けこそが、英語の「動詞」を区別するために必要な基準なのだ。

「レイ君、よく聞け。」
英語の動詞には、2種類ある。
まず1つ目は、英文の主語がどんな『アクション(動き)』をするかを示す一般動詞。【王様】
そして、2つ目は、主語の状態を説明するためのサインとして、主語と後ろの言葉との間を「埋めるためだけ」に存在するbe動詞【影武者】。
この身分が違う2つの動詞を徹底的に区別できるか。
これこそが、今回の事件のポイントなんだ。

「王様と、影武者…?」
いったい何??
また、所長の悪いクセが始まった。
まず、【王様】、すなわち【一般動詞】の世界を見ていこう。
一般動詞の仕事は、主語の具体的な「アクション」を示すことだ。
このアクションには、play(プレイする)のような目に見える動きだけでなく、love(愛する)やknow(知っている)のような、目に見えない「心や頭の働き」も含まれる。
You play tennis. → 「あなた」は「テニス」という対象を「する(アクション)」という動作を示している。
I love sushi. → 「私」は「寿司」という対象を「愛する(アクション)」という心の働きを示している。
これらはすべて、主語が能動的・主体的に何かを「行っている(Doing)」ことを示す。
Youとtennisだけでは、あなたがテニスをどうするのかがわからない。
好きなのか、観戦したのか、プレーしてみたのか、受け手にはまったく伝わらない。
一般動詞「play」があってはじめて、主語のアクションの内容が受け手に伝わるという点で、動詞こそが文の「主役」。
まさに玉座に座る「王様」なんだ。

一般動詞がないと、文の意味が伝わらない。
ということかな・・・。
一方、【影武者】、すなわち【be動詞】の世界はどうだ?
You are a student.
This flower is beautiful.
これらの文の動詞は、主語の動き(アクション)を伝えたいのではない。
ただ、主語である「You(あなた)」は「student(学生)」という状態である。
「This flower(この花)」は「beautiful(美しい)」状態であると、主語の状態を「説明」しているだけだ。
be動詞の役割は、「You」と「a student」という言葉をくっつけているだけで、are 自体が具体的な意味はもたない。
なので、日本語に訳す時、「です。」にあたるなどと説明されることもあるが、ただの「です。」には何の意味もない。
極端な話、be動詞が存在しなくても「あなた」が「学生」である。という意味は伝わってしまう。
その点で、be動詞は言葉の間を埋める影武者にすぎない。といえるのだ。

影武者…。
でも所長、もしbe動詞に意味がないのなら、書かなくても一緒じゃないですか?
いっそのこと 『You student.』で、いいじゃないですか!

素晴らしい指摘だ、レイ君!
実際に、『影武者』であるbe動詞が省略されてしまうこともあるんだ。
たとえば、疲れた顔をしている友だちに向かって、ネイティブはこう言う。
『You tired?』ってな。

本当だ!
Are you tired?
の冒頭のbe動詞Are が見事に省略されている‼
でも、それならやっぱり、いらないんじゃ…

いらない、のではない。
意味が薄いから、省略できるだけだ。
会話のスピードの中では、意味の中心を担う『君(You)』と『疲れている(tired)』
という内容さえわかれば、その間を繋ぐ接着剤のareは、時に姿を消しても問題ない。
この『省略されてしまうほどの軽さ』こそ、彼らが影武者であることの証拠なんだ。

なるほど…!
『省略されてしまうほどの軽さ』が、彼らが裏方であることの証拠なんですね!
でも所長、そうなると、ますます分からなくなります。
なぜ、そんなに『軽い』存在が、そもそも『絶対に必要』なんですか?
省略できることもあるのに、英語OSはなぜ『動詞は、必ず一つ置け』なんて、面倒なルールを決めたんでしょうか?

いい質問だ、レイ君。
まず、人間同士の会話は、音の信号を待っているだけでは成立しない。
我々は常に、『次に相手が何を言いたいのか』を予測しながら聞いている。
この『推測』こそが、言語を高速で理解するためのエンジンなんだ。
我々が普段使っている、自分自身の「日本語OS」を少しだけ覗いてみよう。
我々の脳は、「助詞(てにをは)」という、極めて強力な予測ツールを使いこなしている。
例えば、君の耳に「猫が…」という言葉が聞こえてきたとしよう。
その瞬間、君の脳は何を予測する?

『猫が…』ですか?
うーん…その猫が、何かをするんだなって予測します。
『走る』とか、『鳴く』とか…

その通りだ!
『 が』という助詞が聞こえた瞬間に、君の脳は『猫=主役(主語)』と確定し、
『次に、その主役のアクションが来るぞ』と待ち構える。
では、こう聞こえたらどうだ? 『猫を…』

あっ! 今度は違います!
猫が何かを『される』側だから…
『誰が、猫を、どうしたのか』っていう、
主役とアクションの両方を待つモードになります!

ブラボー! それが、日本語OSの予測エンジンだ。
助詞という『タグ』さえあれば、語順がどうであれ、脳は瞬時に単語の関係性を予測できる。
だが、英語OSの推測ツールは、それとは根本的に構造が違う。
英語OSは、その推測の大部分を、文の心臓部に置かれた、たった一つの設計図『動詞』に担わせるんだ。
動詞の最も根源的な役割は、文に『誰が・どうする・何を』という設計図を提示することにある。
聞き手の脳は、『主語+動詞』までを聞いた瞬間に、『次はこのパターンの展開が来るぞ』と、展開を数パターンに絞り込み、予測を始める。
この『予測可能性』が働くからこそ、たとえ高速な会話や、なまり・ノイズが混じった発音であっても、聞き手は混乱することなく、相手の発信内容を確定できる。
- He is…と聞こえたら → 脳は「彼のプロフィール(正体、状態、場所)が来るぞ」と予測する。
- He made…と聞こえたら → 脳は「彼が『作ったモノ』が来るぞ」と予測する。

だから、動詞がないHe a desk.みたいな文は、脳が予測を始められない『破損データ』なんですね!
じゃあ、二つ以上あるのは、どうしてダメなんですか?

いい質問だ。
もし動詞が二つあれば、脳には二つの異なる『設計図』が同時に提示される。
すると、予測のターゲットが絞れず、システムは完全にクラッシュする。
だから、設計図は『必ず一つ』に限定されたんだ。

なるほど!
予測のための設計図だから、絶対に一つ必要…。
あっ! ということは、意味のないbe動詞でも、省略しないでちゃんとYou are happy.って言ってくれると、私の脳は『よし、これからあなたの説明が来るんだな』って、安心して予測を始められる。
そのための『思いやり』なんですね!

その通りだ!
be動詞が存在することで、聞き手の脳にかかる『予測の負荷』は限りなくゼロに近づく。
そのために、それ自体意味のないbe動詞【影武者】を置いて、受け手の予測を助けるのが、be動詞の役割と言えるんだ。
【探偵訓練ドリル①】王様か、影武者か、見抜け!
さあ、最初の関門だ。
これから見せる文で、カッコ内に入るのは、意味を持つ「王様(一般動詞)」か、それとも意味のない「影武者(be動詞)」か?
どちらかの単語を選び、完成した文を頭の中で作ってみろ。
推理が固まったら、下の「真相」をクリックして答え合わせだ。
FILE.1
He ( ) a famous pianist.
Q. ( )に`is`か`plays`のどちらが入るか? 下の文の隠された部分をクリックして、正解を出現させよ。
He is a famous pianist.
正解は A) is。
( )の中の動詞は、「彼=有名なピアニスト」であるということを「説明」する役割だな。
主語のアクションは求められていないので、影武者be動詞の出番だ。
【第2部】究極の謎:疑問文と否定文を作る作法が、なぜ、これほど違うのか?

英語の文では動詞がとても大切で、絶対に一つ必要…。理解しました。
そして、be動詞と一般動詞の区別もなんとなくつかめてきました。
……でも所長、同じ動詞なのに、疑問文や否定文を作る時、どうして形があんなに違うのですか?
たとえば、
You are a student. を疑問文にすると、Are you a student?
ってbe動詞が前に出ますよね?
でも、You play tennis.の場合、Play you tennis?
になるのかと思いきや、Do you play tennis?ってなる。
王様(一般動詞)だけが呼ぶ、このDoっていう謎の助っ人は、一体何者なんですか!?
鋭い。レイは、この事件の最も不可解な点に、自ら気づいた。
この謎を解く鍵は、我々が「基本」だと思い込まされてきた、英語の常識そのものを、ひっくり返す必要がある。

その疑問を待っていたぞ、レイ君。
君は、You play tennis.のような、『裸の動詞』の文が、英語の基本だと教わってきたはずだ。
だがな、もし、それが全くの逆だとしたら?
動詞の前に【気持ちのスーツ】である助動詞をまとい、表現を豊かにする姿こそ、英語の最も自然で、デフォルトな姿だとしたら。

また所長の暴走が始まった。
いったい何を言っているの?
裸とかスーツとかどういうことなんだろう?

我々は、中学の教科書で、You play tennis.のような、「裸の一般動詞」の文を、英語の「基本」だと教えられてきた。
そして、canやwillといった助動詞は、後から学ぶ「応用」だと。
たしかに、助動詞がない方が、形もシンプルで、基本の形であるように見える。
だが、レイ君。君は誰かと会話する時、You play tennis.(あなたはテニスをする)
といった、話し手の気持ちが一切乗っていない、無味乾燥な「事実報告」なんてするのかい?

いえ、おそらく、
He can play tennis. (彼はテニスができるよ)とか、
He will play tennis. (彼はテニスをするつもりだ)
といったように、気持ちを込めて話すと思います。

そうだろう?
君の言う通り、動詞の前に「気持ちのスーツ」である【助動詞】をまとった豊かな表現
こそ、我々が相手に伝える最も自然で、デフォルトな英語の姿だと言える。
そして、この「助動詞」をまとった世界での、疑問文、否定文のルールは驚くほどシンプルだ。
「否定文は助動詞の後にnotを置き、疑問文は助動詞を前に出す。」
これが、英語の揺るぎない大原則だ。
否定文: 助動詞の後ろにnotを置く。 (He can not play tennis.)
疑問文: 助動詞を、主語の前に出す。 (Can he play tennis?)

なるほど…。否定文や疑問文を作る仕事は『スーツ』が全部やってくれるんですね。
…ということは、問題のHe plays tennis.は、スーツを着ていない、『裸』の状態…?
こっちの方が特殊ってことですね?

その通り。
そして、この「事実モード」という特殊な文を、否定・疑問にしたくなった時、大事件が起きる。

あっ。スーツがない。
否定文と疑問文を作る仕事をしてくれる助動詞がいないんですね。
どうしよう…。
それでDoの出番なんですか?

その通り!
否定文・疑問文は助動詞で作るのがルールだけれど、事実モードの文には、助動詞が存在しない。
そこで英語OSは、『事実モード専用の助動詞doを、この時だけ特別に着用することを許可する!』という究極の解決策を用意したんだ。
You can play tennis. ⇒ You can not play tennis. (助動詞の後にnotを置く。)
You play tennis. ⇒ You do not play tennis. (助動詞doを召喚してnotを置く。)
You can play tennis. ⇒ Can you play tennis. (助動詞を前に出す。)
You play tennis. ⇒ Do you play tennis. (助動詞doを召喚して文頭に置く。)

今まで、どうして突然Doが現れるんだろう?って思ってたんですが、
否定文と疑問文は助動詞が作るという大原則に合わせるために、
特別なスーツDoを借りて来てたってことなんですね。
でも、どうしてDoなんですか?他の単語じゃだめだったんですか?

素晴らしい。
それこそが、この事件の、最後の扉を開ける『鍵』となる問いだ。
レイ君、君が言う通り、『どうして、doだったのか』の謎を解き明かすために、
我々は、一度、OS設計者の椅子に座り、他の動詞が、なぜ代理人になれなかったのかを、検証する必要がある。
その代理人に課せられた、任務の条件は二つ。
1.canやwillのように、独自の「意味(気持ち)」を加えず、中立であること。
2.そして、全ての一般動詞(アクション)を代表できるほどの、抽象性。

さあ、尋問を始めよう。
makeやgetといった、個性の強い王様たちを、この代理人に任命したら、どうなる?

あっ! だめです!
Make you play tennis?だと、『テニスをさせるのか?』
みたいに、makeのコアイメージ(創り出す)が、邪魔をしてしまいます!
彼らは、中立じゃありません!

その通りだ。彼らは、個性が強すぎて、とても代理人は務まらない。
…つまり、レイ君。設計者が探していたのは、
『他の王様の意味を一切邪魔しないほど、無個性でありながら、
全てのアクションを代表できるほど、根源的である』
という、矛盾した条件をクリアする、たった一人の王様だったんだ。
レイの脳が、高速で回転を始める。
彼女は、いままで、日本の英語教育が求める思考停止を受け入れ、漠然とdoが置かれるという「きまり」にしたがってきた。
しかし、今、初めて、なぜdoが使われたのかという「思考」を開始したのだ。

…! そうか! そういうことだったんですね! 私たちは、これまでdoを、do my homeworkみたいに、『(何かを)する』っていう、ただの一つの動詞としてしか見ていませんでした。
でも、本当は違ったんだ!
playもeatもstudyも、突き詰めれば、全部『何かを実行している』ってことだから…。
doのコアイメージ『(中身を問わず)何らかの行為を、実行する』こそが、他の動詞たちの、
全ての根っこにある、『親玉』のような存在だったんだ!
親玉だから、『代表』になれる!
特定の行為に限定せず、何かを『する』という意味だから、他の動詞を邪魔しない。
『中立性』も保てる!
だから…doが、選ばれたんですね!

ブラボーだ、レイ君! それが、真実だ。
doの採用は、消去法でで決まったのではない。
DOの根源的で、中立なコアイメージの故に、必然的に選ばれた、唯一無二の存在なんだ。
OSのシステムを成り立たせるための、天才的な一手だったんだよ。

でも、所長。
じゃあ、be動詞って変じゃないですか?
中立な助動詞DOが否定文と疑問文を作るとするなら、
Do you are a student?
としなければ筋が通らなくないですか?
be動詞の文は、どうして『代表』であるdoを呼ばないんですか!?
be動詞も動詞の仲間ですよね?

言い気づきだ、レイ君!
確かに、be動詞も動詞の仲間だ。
しかし、be動詞と一般動詞の違いはすでに、解明済みだと思うが…。

・・・。
be動詞と一般動詞の違い。
影武者か王様かっていうあれ?
それがどう関係するんだろう?
・・・。

おさらいをしておこう。be動詞の最も根源的なコアイメージは、「存在する」。
かつて、God is.(神は存在する)というように、
be動詞は、それ自体が深遠な『意味』を持つ、尊い動詞だった。
しかし、英語OSが進化する中で、その「存在する」という意味が、
もっと別の重要な『機能』に使えることに気づいた。
例えば、He is a doctor. という英文は『彼が、医者として存在する』とbe動詞の意味を介して、「彼は医者です。」と理解されるようになった。
同様に、The window is broken. といった受動態の文でもbe動詞が使われるが、これは、『窓が、壊された状態で、存在する』、という意味を介して、「窓が壊された。」と理解されるようになった。
このように、be動詞の役割は、主語が、どのような『状態』で、この世界に『存在』しているのかを、定義・設定することに使われるようになった。
『主語の存在の状態』を定義づける役割に具体的な意味はない。これは、あたかも主語がどのような能力(can)を持ち、どのような意志(will)を持つかといった助動詞と同じような役割を果たすものと言える。

つまり、be動詞にはもともと、「存在する」という意味を持った動詞だったけど、
そこから派生して主語の「状態」を説明する記号のような存在になった。
それ自体が意味を持たないのであれば、助動詞みたいな使い方もできるっていうことで
doの助けも必要としなかったということですか?

その通り。
英語OSでbe動詞は、自ら「助動詞」を兼任できることとされた。
だから、doという代理人を呼ぶ必要がない。
否定したければ、助動詞の掟通り、自分の後ろにnotを置く (He is not…)。
疑問にしたければ、助動詞の掟通り、自分で前に出る (Is he…?)。
こういうルールを採用したというわけさ。
ここで、鋭い君はこう思うだろう。
「doなんて代理人を呼ばずに、be動詞と同じようにplay自身がPlay you tennis?と、前に出ればいいじゃないか」と。
なぜ、英語OSは、そのシンプルな道を選ばなかったのか?
その答えは、我々の脳が英文を処理する「順番」と、英語OSの「予測可能性」という、絶対的な原則にある。
我々の脳は、英文を読むとき、無意識のうちに「次に来るもの」を予測しながら読み進めている。
そして、英語OSの最大の強みは、その予測がほとんど裏切られないことだ。
そういう面では、日本の学校で習う返り読みなどという芸当は、日本語OSにどっぷりつかった考え方であって、
英語OSからは、決して出てこないので悪しからず。
【一般動詞の場合:予測が裏切られる危険な世界】
The man gave his daughter a doll. (その男は娘に人形をあげた)
この文を、Gave the man his daughter a doll? のように、司令塔Gaveを文頭に移動させたとしよう。
- 文頭にGaveが見える。 → 脳の予測: 「動詞から始まったぞ。これは一体どういう構造だ?ひょっとして命令文か?」と、脳は一度フリーズする。 いつもの「主語→動詞」という安心安全な道が、いきなり断ち切られたからだ。
- 一般動詞は、従える部下(目的語など)のパターンが非常に多様だ。 gaveと聞こえただけでは、次に「主語」が来るのか、「与えられる相手」が来るのか、脳はすぐに判断できない。
- 結果、脳は「これは一体、誰が誰に何をあげたんだ?」という余計な推理を強いられ、多大なエネルギーを消費する。
英語OSは、仮に文章の構造が正確につかめたとしても、この「脳のフリーズ」をシステムとして何よりも嫌うのだ。
【be動詞の場合:予測が成り立つ安心な世界】
では、なぜIs he a doctor?ならOKなのか?
なぜ、be動詞の場合は、文頭に出されても予測が裏切られないのか?
それは、**be動詞は、後ろに来る要素のパターンが極端に少ない、「正直者の案内人」**だからだ。
- 文頭にIsが見える。 → 脳の予測: 「よし、be動詞の疑問文だ! ということは、この文は『主語のプロフィール(どんな正体、どんな状態、どんな場所など)についての質問』に違いない!」と、予測の範囲が、むしろ限定される。
- Is he…?と聞こえた瞬間に、脳は「彼が『何者』で、『どんな状態』で、『どこにいる』のかを聞きたいんだな」と、心の準備ができる。
- be動詞が前に出ることは、脳を混乱させる「裏切り」ではなく、これから始まるクイズの「形式」を親切に教えてくれる「予告信号」として機能するのだ。
結論:
一般動詞を前に出さないのは、「多様な文型を採り得る一般動詞を本来あるべき場所に置いて、文章の設計図を明確にする」ことで、脳を混乱を避ける点にある。
be動詞が前に出られるのは、「be動詞が使われる英文の文型は限定されているため、先出にすること」で、かえって脳の処理を助ける点にある。
doサポートとは、常に「主語→動詞→…」という、脳にとって最も予測しやすく、最も負担の少ない、黄金のルートを維持するための、究極の安全装置だったんだ。
司令塔の一般動詞が動かない理由は、我々の脳に対する「究極の思いやり」であると言えよう。
【第3部】 英語の奥深さ:動詞と助動詞の「共演」
これで、be動詞と一般動詞を巡る、長年のミステリーは、ほぼ解決した。
「王様」と「影武者」という身分の違い。そして、「スーツを着た姿こそがデフォルト」という、基本と例外の逆転。
レイの頭の中には、英語OSの、驚くほど合理的で、一貫したシステム設計図がインストールされた。

所長、全ての謎が、本当に、一本の線で繋がりました…。
もう、doもbeも、怖くありません!
…でも、最後の最後に、ずっと私の心に引っかかっていた、
最後の『なぜ?』を聞いても、いいですか?

もちろんだ、レイ君。
探偵の仕事は、最後の『なぜ?』を、決して見逃さないことだ。
言ってみたまえ。

はい! 私たち、これまで助動詞を、『気持ちのスーツ』だって、学んできましたよね。
でも、willは、中学の時から、ずっと○○するつもりという『未来形』を作るって、習ってきたんです。
I will be a doctor.は、『私は医者になるつもりです』。これは、分かります。
でも、所長! この例文は、一体どう説明すればいいんですか!?」
It will rain tomorrow.

もし、学校で習った通り、『~するつもりだ』と訳したら、
『それ(天気)は、明日、雨を降らせるつもりだ』
って、なってしまいます! まるで、空に『意志』があるみたいじゃありませんか!
willって、本当に「気持ちのスーツ」なんですか?
一緒に使われる主語や動詞によって、どう変化すると考えればいいですか?

本題に入る前に、君が学校で教わった、ある「ウソ」を暴いておかねばならない。
それは、「will = 未来形」という、危険な呪文だ。
驚くなよ。
英語には、動詞の形が変化する時制は「現在形」と「過去形」の2つしかない。
「未来形」なんていう時制は、そもそも存在しないんだ!
willの正体は、未来を表す時制などではない。
willもまた、話し手の『気持ち』を表現するための、助動詞(気持ちのスーツ)の一つに過ぎない。
playが「現在」、playedが「過去」を表すように、will playが「未来」を表すわけじゃない。
willは、**「現在の時点から、未来を見通している」という、話し手の今の気持ち(強い予測や意志)を表しているだけなんだ。
この真実を知るだけでも、君の英語OSは、大きくアップデートされるはずだ。
これまで「気持ちのスーツ」と呼んできた助動詞。
彼らは、単なる文法的な部品ではない。
王様である一般動詞と同じく、それぞれが豊かで、強烈な個性、すなわち「コアイメージ」を持っているんだ。
英語の表現の真の醍醐味は、この2つのコアイメージが、一つの文の中で出会い、共演し、時に火花を散らすことで生まれる、無限のニュアンスにある。
さあ、その「奇跡のコラボレーション」が生み出す、壮大な物語の現場を見ていこう。
必殺例文:「海賊王におれはなる!」の本当の意味
willの正体が「意志」や「予測」であるというなら、そのニュアンスは、一体何によって決まるのか?
ここで、第1章の絶対法則が再び、その力を発揮する。
「場所が、意味を決める」
助動詞willもまた、例外ではない。
それが、どの「主語」とどの「動詞」の間で使われるかで、その顔は劇的に変わる。
大人気漫画『ONE PIECE』の主人公ルフィの、あの有名なセリフで、その真実を解き明かそう。
I will be the King of the Pirates!
(おれは海賊王になる!)
なぜ、ここでは「~でしょう」という弱い予測ではなく、「~になる!」という揺るぎない「意志」になるのか?
それは、主語がI(話し手自身)だからだ。
話し手自身が、自らの未来を、確信を持って見通す。
それは、「そうなるだろうなあ」という他人事の予測ではない。
「絶対に、そうしてみせる!」という、未来をねじ曲げてでも実現しようとする、強烈な「意志」そのものと考えられるからなんだ。
究極のコラボレーション:意味の「スーツ」助動詞と「王様」一般動詞の共演
主語の「意志」を表す助動詞willと、動詞の王様一般動詞が合わさるとどのような意味になるのか?
この二つが共演する時、どんな物語が生まれるのか。
ルフィを取り巻く、他のキャラクターたちのセリフで見てみよう。
【ガープ中将のセリフ】
I will make you a great Marine!
(わしは、お前を立派な海兵にしてみせる!(させる!))
ここでは、ガープ(I)の強い「意志(will)」と、
「外から力を加え、新しい状態を創り出す」というmakeのコアイメージが共演している。
その結果、「お前(ルフィ)の意思など関係なく、わしの力でお前を『海兵』という状態に創り変えるぞ」という、強力な「使役(~させる)」のニュアンスが生まれている。
ルフィがbe動詞を使って、海賊王という状態を目指したのと異なり、makeを使うことで、もっと強い遺志を表すことができた。
【シャンクスのセリフ】
This straw hat will make you a great pirate.
(この麦わら帽子が、お前を立派な海賊にしてくれるだろう)
それでは、主語を入れかえてみるとどうだろう? 助動詞と動詞は同じガープ中将と同じwill makeを使っているのに、全く違う響きになる。
ここでは、主語がThis straw hat 麦わら帽子という(無生物)だ。
麦わら帽子に「意志」はない。
だから、willのニュアンスは、「意志」ではなく、「自然な成り行きとしての、強い未来予測」へと変化する。
シャンクスからは、「この麦わら帽子がお前を導き、結果として、お前が立派な海賊になる」という未来が、ハッキリと「見えている」というニュアンスが表現できる。
【結論】君はもう、本当の関係性を知った
助動詞も、動詞も、単体ではただの部品だ。
しかし、助動詞の「気持ち」と、一般動詞の「アクション」が、文中の「場所(主語や目的語)」と出会い、共演することで、初めて一つの豊かで、深い物語が奏でられる。
英語を使いこなすとは、このコアイメージのオーケストラを、君自身が指揮できるようになることなのだ。
天動説から地動説へ:見えてきた宇宙の法則
どうだ、探偵。
これまで君を苦しめてきた、動詞を巡る全ての謎は解けた。
日本の英語教育という**「天動説」**の世界では、be動詞も一般動詞も、そしてdoという謎の星も、全てがバラバラに、複雑な軌道を描いているように見えた。
しかし、君は今、**「地動説」**の視点を手に入れた。
**意味を担う「恒星(王様=一般動詞)」**を中心に、**意味を持たない「惑星(影武者=be動詞)」が回り、そしてシステムの法則を守るためだけに現れる「彗星(代理人do)」**が存在する。
君が見ていたのは、混乱ではない。
驚くほど合理的で、美しい宇宙の法則だったんだ。
君は、英語OSの本当の設計図を手に入れた。
(まとめと次章へのフック)
君は、英語OSの本当の設計図を手に入れた。
だが、我々の前には、まだ手強い敵が待ち構えている。
文の中に紛れ込み、この美しい王様の城の構造を見えなくさせる、**偽装工作員…「飾り」**の存在だ。
次の第3章では、その偽装を見破る技術を学ぶ。準備はいいか?
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